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「告存晶-レペィキスタ-」1

麻生新奈  精霊(ア=セク)が存在する、アスワードと呼ばれる世界。
 アスワード世界の精霊(ア=セク)たちは、記録が尽きるほどの遠い昔から、代々、王を戴いてきた。王は、精霊(ア=セク)同士の諍いの調停者であり、祭りの召集者でもあった。精霊(ア=セク)たちは、そういうものだと思っていたし、王がいて、王の指名する後継者がいるのが、あたりまえの状態だった。歴代の王を見ると、後継者は、王の息子か娘であることがほとんどだった。
 ところが現王オーリンは妻を持たず、当然、王子も王女もいない。だが妹を後継者に指名していたので、精霊(ア=セク)たちはあまり心配しなかった。精霊(ア=セク)は長寿で、生きることに飽きるか、霊武器(フィギン)で斬られるかしなければ、何百年も生きるのだ。
 ところが。王妹は(ユム)に恋して、王位継承権を返上した。
 精霊(ア=セク)たちは、根本的に脳天気でお祭り好きである。「王妹が王宮を捨てるとは何事か」と怒るより先に「では王に后を娶っていただかなくては」と発想する。
 というわけで、王宮には他薦自薦を含めた王妃候補が次々訪れている、と風霊(ウィデク)センティスは噂に聞いていた。

 精霊(ア=セク)王の棲まいは、とある高山の、頂上近く。巨石が組み合せたような洞窟である。巨石を磨き、金や宝玉の煌く細工物を嵌めこんで飾られた玉座の間。多くの記録の晶を収めた術庫、武器や宝物を収めた蔵。精霊(ア=セク)王が予知の夢を見るために寝む私室。風霊(ウィデク)の王の宮は、どの窟も風がひょうひょうと吹き抜けて、不思議な音を奏でている。
 王宮を訪れたセンティスは、飾りを磨く匠精(メト)の一人に、オーリン王の居場所を尋ねた。
「オーリン王は術庫にいらっしゃいます」
 匠精(メト)は小柄な精霊(ア=セク)だ。センティスを見上げて、慇懃に答える。
「オーリン王に御后候補が引きもきらないという噂は本当なのか?」
 尋ねてみた。
「引きもきらない、とまで、言いますのかどうか。……何人かは、王宮までいらっしゃいました」
「もてるのか、王は」
 匠精(メト)は、目をくりくりさせて、直接の答えを避けた。
「いらっしゃるのですが。数日でお帰りになります」
「数日は、速いな」
 王とはいえ、センティスには従兄弟にあたる。つい軽い口調になった。
「なんでも、王は、政むきのことしか、話題になさらないとかで」
 センティスは溜息をついて、匠精(メト)にわずかばかりの霊力(フィグ)を与えて礼をする。
 センティスは、先々代の王の孫に当たるのだが、霊力(フィグ)に恵まれていない。しかし娘シェーヌは、先祖返り的に強い霊力(フィグ)を持ち、しかもそれを上手く制御することが出来ない。そのことが原因で妻は去り、センティスは父一人娘一人で、風に乗り、世界を巡っていた。その娘が、精霊(ア=セク)の祭りの際に王に会い。
 王に、恋を、した。
 今日は、愛娘は、王宮の外に待たせてある。オーリン王は、匠精(メト)のいうとおり、術庫にいた。
 術庫にも、風が吹いているが。術や歴史を記録した晶は、その風とは無関係の動きで、するりするりと宙を舞い。庫の中心にいる王に近づいては、王と対話するように見える。無論、晶には意思はなく、王が霊力(フィグ)で晶を繰っているのだ。
 センティスが庫を覗き込んで数秒で、晶は巣に帰る小動物のように渡し木の棚に戻り、王が振り向いた。
「用向きか? 玉座の間のほうがよければ」
「いや、ここでいい」
 センティスは慌てて答え、
「調べ物か?」
と聞いてみた。歴代の王のなかには、調停にあたっても「直感的に」裁定を下していた者もあるらしいのだが。オーリンは、調停の願いの周辺の事情を綿密に聞き取った上、先例に当たって調停を下す。術庫にいる時間も、歴代の王の中でも多いらしい。
 だが、オーリンの答えは、調停に関するものではなかった。
「ああ。実の子や兄弟姉妹以外に王位を継承するときに、どんな儀が必要なのかと思ってな」
「なんだ、王妃の候補が次々来ていると聞いたが、王自身は諦めたと?」
 センティスは軽口のつもりだったが、オーリンは思いがけぬほど苦い顔になる。
「后を得たところで、子が生まれるとは限らない」
 なんだか、話が切り出しにくいほうに流れているような気がしつつも、ここで思い切って言わないと、と、センティスは、心の中で気色ばんだ。
「実は、だな。そのことなんだが」
「そのこと?」
 オーリンは、センティスが何を言い出すのか、予想がつかないようだった。
「后の、ことだ。うちの娘……、シェーヌでは、どうだろう?」
「センティスの? ……まだ、子供ではなかったか?」
 シェーヌは生後十八年、精霊(ア=セク)の十八歳は、人間でいえば幼児ほどの年齢である。
「そうだよな」オーリンの返答にがっくりきて、センティスはつい気のぬけた言葉使いになる。「無理だよな。いや、娘が祭りで王にお会いしてからというもの、どうしても伺ってほしいと聴かないものだから」
「継嗣なら、ともかくも」
 なかば独り言のようにオーリンが言ったのをセンティスは聞き逃さなかった。
「ほんとかっ」
 思わず声のトーンが上がったセンティスに、対するオーリンの声は低い。
「后も子もない王としては。王位を継いでくれる継嗣なら喉から手が出るほど欲しい。当然だろう?」
 その声音には、センティスの言葉をまるで信じていないように、揶揄の色を含む。
「養子としてでも……、俺にはもう我が子と呼ぶなというならそれでも……」
「手放したいのか?」
 オーリンの視線が、冷たくセンティスに突き刺さる。その鋭さに抗うように、センティスは、言葉を喉から押し出した。
「あの子を嫌うわけでも厭うわけでもない。ただ……」言い始めると昂ぶって、声が、高くなる。「俺といては、あの子は、歪んでしまう。ついこの前まで無邪気で好奇心がいっぱいの子供だったのに、この頃、何をするにも俺の顔色をうかがって。何々をしちゃダメだよね、って、諦めたように聞く。俺は、もっと大きくなってからな、としか答えられない。俺の力では、あの子の霊力(フィグ)が暴走したら抑えられないし、力の制御を教えてやることもできない。王宮なら俺より遥かに強い者たちが次々訪れるだろう。王の養い子ともなれば、シェーヌが教えを乞うても、断られもしないだろう。無論、自分の霊力(フィグ)の不足を言い訳に、ムシのいいことを言っているのは判ってる。だがこれ以上一緒にいても俺にはしてやれることが何もないんだ」
 オーリンの表情から揶揄の色が消えた。すい、と、視線をそらす。数秒の沈黙が、落ちた。オーリンは、センティスを見ないまま、口を開いた。
「シェーヌと私と、一対一で、話をさせてほしい。それで私が出した条件を、シェーヌが了解するなら、私の継嗣として王宮に迎えよう。連れてきているのか?」
 ダメでもともと、だと思っていた事態が急展開してみると、自分が言い出したことなのに、センティスはうろたえた。
「連れては、来ているが……」
 オーリンが、最前の冷たさが嘘のように、頬を緩めて笑みを見せた。
「……準備の時間が欲しいのであれば、いかようにでも」
 センティスは溜息をつく。……俺、いま露骨に、心の準備ができてない、って顔をしているんだろうな。
「面目ない、告存晶(レペィキスタ)を交わす間だけ、時間をいただきたい」
 
 王宮のある厳しい山の山腹、とりわけ鋭い風の通うあたりに、シェーヌは、いた。
「父上!」
 近づくセンティスを見つけて、飛んでくる。銀艶をもつ淡茶の髪と、白く柔らかなドレスが、後ろになびいて、ふわりと揺れる。思考や理解力は人間の幼児なみなのだが、霊力(フィグ)の強さゆえに、外見だけは少女のものだ。
 センティスのすぐ傍らまで飛ぶと、空中で両手を後ろに組んだ。シェーヌの霊力(フィグ)が暴走すると、体に触れただけで、思考を勝手に読んだりする。そんなことがあってから、シェーヌはセンティスに抱きつかなくなった。
「ね、王様、なんて?」
 満面の笑みで、答えを待っている。
「シェーヌを王妃に、と申し上げたら、断られた」
「そっかぁ」
 しゅん、と笑顔が消えた。
「だが……、養い子としてなら、王宮に迎える、と」
 センティスにも意外だった選択肢を聞いて、シェーヌが目を瞠る。
「王様の子供になるの? 父上の子供じゃなくなるの?」
 センティスは、かぶりを振った。
「オーリン王の、次の王になる、ということだ。シェーヌは女の子だから、女王様だな」
「王様のそばにいられるんだよね?」
 おずおずと聞いてくる。どうやらそこが、恋する少女にとって一番重要なポイントであるらしいのが、微笑ましい。
「そうだな」
 シェーヌは幼いなりに真剣な表情で、小さく首を傾げ、懸命に事態を理解しようとしていていたが。しばらく考えると、諦めたように、ちょっと口を尖らせた。
「父上は、どうしたらいいと思う?」
「王宮にいれば、いろいろな精霊(ア=セク)が訪ねてくる。とても強い精霊(ア=セク)もいる。霊術を習うこともできるし、きっと霊術以外にもいろいろなことを教えてくれる。女王になるんだからな」
「父上も、来てくれる?」
「ああ」
 会えなくなるわけではなかった。だが、生まれてからこれまで、ずっと傍らにいた娘である。さびしくないわけが、なかった。
告存晶(レペィキスタ)を交わす間だけ、王に時間をいただいてきた。……俺にも、シェーヌの告存晶(レペィキスタ)をくれるかい?」
「うん!」
 シェーヌは、腰の飾り輪に吊った、小さな籠を撫ぜる。それは、母親が二人の元から離れたときに、シェーヌに渡したものだった。
 告存晶(レペィキスタ)は、精霊(ア=セク)であれば誰でも作れる、基本的な霊具で、とくに霊術はこめられていない。精霊(ア=セク)は、不老とされ、体の病はなく、鉄の武器にも傷つかない。ただし、生に飽きると消滅する。霊術をこめた霊武器(フィギン)では、殺すこともできる。告存晶(レペィキスタ)は、作り手が死ねば消え、そのことによって死を知らせるのだ。
 家族や恋人、ごく親しい友同士が交わす。シェーヌの母は、娘には告存晶(レペィキスタ)を渡したが、娘からは告存晶(レペィキスタ)を求めなかった。シェーヌが幼すぎて、作りきれないだろうというのはあったけれど。シェーヌの今後が気にならないという意思表示にも見えた。
「籠を誂えないといけないな」
 精霊(ア=セク)は、風霊(ウィデク)地霊(ムデク)樹霊(ジェク)匠精(メト)に大別され、得意なことが異なる。匠精(メト)霊力(フィグ)を支払えば、金属や貴石で飾った籠を作ってくれるだろう。王の養子とその父が交わす告存晶(レペィキスタ)のためであれば、センティスの霊力(フィグ)でも不足だとは言わないだろう。だが。
 センティスは、誰にともなく、かぶりを振った。
「ディワに、頼んでみようか」

 ディワは、王宮から半日ほど飛んだところに住む女性の樹霊(ジェク)で、シェーヌよりは少し年上だが、精霊(ア=セク)の中では年若い。樹霊(ジェク)の生命の源である本樹は、遠くから見ると、円錐の輪郭をもっていた。近づくと、まっすぐな幹から、地面に水平な枝を伸ばし、そこから細かい枝が茂り、さらに細い針のような葉を無数につけているのが判る。直線を幾重にも重ねた本樹の姿は、ディワの気性とあい通じるものがあった。
「ディワ!」  センティスが呼ぶと、本樹の幹から、するりと樹霊(ジェク)が抜け出てくる。肩口まである深緑の髪、樹皮よりやや薄い淡茶の肌、淡金の虹彩に鬱金の瞳を点じた眼。センティスとシェーヌの姿を認めて、晴れやかに笑んだ。  ディワは、シェーヌのことを、ずいぶん可愛いがってくれてもいた。精霊(ア=セク)は、子供が少なく、本樹からあまり離れない樹霊(ジェク)にとって、会う機会がある者はさらに少ない。若いディワにとって自分より年下の精霊(ア=セク)が珍しいらしい。
「シェーヌを王宮に預けることになってな。告存晶(レペィキスタ)を交わしたい。ついては、籠を作ってもらえないだろうか」
 センティスがそんな言い方をすると、ディワは、対価も聞かずに頷いた。
「私が作れる木細工でいいのなら」
「助かる、対価は、雨が少ないときに、雲を連れて来る」
「シェーヌの一人立ちのお祝いですもの、対価なんて、なくても」
「そうはいかんさ」
「では、今でもいいですか? このところちょっと雨が少なくて。私の本樹はまだまだ大丈夫ですけど、川むこうのお気に入りの花が萎れかけているんです」
 ディワは、にこりと言う。たぶん、それは、嘘ではないだろう。だがディワの気遣いでもあろうのだろうと、センティスは思う。対価が済むまでは、借りているのと同じだ。対価を今済ませてしまえば、センティスとシェーヌは「借り物」ではないものを贈りあえるのである。
「判った。雲を探して来よう」
 センティスは、心づかいへの礼もこめて、ディワに軽く頭を下げる。
「シェーヌも、……行ったら、だめ?」
 シェーヌが、上目づかいに、センティスに尋ねた。普段なら、待っているように言い聞かせるところだが。今日だけは、シェーヌを連れて行こう、と、センティスは決めた。
「シェーヌもおいで」
「うん!」
 シェーヌの表情がぱっと輝いた。小さく首をかしげて、霊力(フィグ)が広がるのがわかる。
「あっちのほうに、雲があるよ」
 遠くない。この距離ならセンティスにも判るのだが。嬉しそうに先に立って飛び出したシェーヌに、センティスは、そのまま従った。

 風霊(ウィデク)は風を繰ることができるが、雨を降らせるほどの雲となると、小さな雲をちまりと運ぶわけにはいかない。遠くから見たときは、下端に影をはらみ、もくもくと膨らんだ、一塊の入道雲でも、近づけば見渡す限りの濃い霧である。
「これを、運ぶの?」
 シェーヌは浮き浮きと言う。
「雲の全体を、風で押すんだ」
「うん!」
 と言い終わるのも待たぬ速さで、風が起きる。シェーヌの霊力(フィグ)が、起こしたのだ。鋭い風は、雲に突き刺さり、分断しそうになる。
「少し、離れよう。全体を見るんだ」
 センティスが、風の音に逆らって声を放つと、シェーヌは、ポンと自分を投げるような勢いで、雲との距離を取った。風が雲を殴る、塊だった雲がくびれる、雲から伸びた突起の形の霧を押し戻そうとして風を送ると、突起は空に散ってしまう。
「シェーヌ!」
 焦りきった表情のシェーヌに近づき、なんとか落ち着かせようと声をかけるが。
 シェーヌは、崩れ始めた雲をどうにかしてまとめようと、風を作っては吹かせる。雲は、いっこうに思う通りにならず、むなしく散って薄くなってゆく。
「シェーヌ。もう、いい」
 センティスがシェーヌを止めたときには。雲はまったく消えたわけではなかったが、とても雨は運べぬほどに薄くなっていた。
「ごめん……なさい」
 シェーヌは、うつむいた。
「いいさ。別の雲を探すか」
「あっちにも、ある、けど」
 雲のある方向を指さして。
「ディワのところで、待ってる……」
 シェーヌの声が小さく震える。
「わかった。ディワに頼もうな」
 センティスは、シェーヌが付いてくるのを確かめながら、ディワのいる森へ飛び始めた。

「告存晶-レペィキスタ-」2

「すまん、しばらく、シェーヌを預かってもらえるか」
 本樹の前で呼ぶセンティスの声に、ディワは、するりと樹の内を抜け出して、精霊(ア=セク)の姿を取った。上機嫌で出立したシェーヌはしょんぼりとうつむいて、唇をへの字に結んでいる。
「いいですけど……」
「シェーヌ、いい子で待ってるんだぞ。ディワ、すまんな、頼む」
 再び詫びて飛び立つセンティスを、シェーヌはふにゃりと手を振って見送っている。
「どうしたのか、聞いてもいいかな?」
「シェーヌの風が強すぎて、雲が散ってしまったの」
 シェーヌの力の制御が拙いことは、ディワも、シェーヌの母の愚痴で知っていた。
「そう……」
 別れを目前にしているからこそ、センティスもシェーヌを伴ったのだろうし、シェーヌも常以上に張り切ったのだろう。慰めてやりたくても、どう言葉をかけていいか、分からない。
「ねえ、籠を作りに行きましょうか」
「いいの? まだ、雨が降ってないのに」
「センティス殿は約束を守る方だもの。シェーヌの分を先に作っておけば、センティス殿が戻られてから、すぐセンティス殿の分に取り掛かれるでしょ」
 ディワは本樹の枝に軽く触れた。枝は枯れ葉のようにほろりと落ちたが、その葉っぱはみずみずしく、緑のままだ。樹霊(ジェク)が本樹を離れるときは、小枝を携えて、本樹との霊力(フィグ)の絆を結ぶのだ。
 ディワは、とん、と軽く地面を蹴って宙に舞うと、そのまま鳥の姿を取った。茶色の濃淡の羽の鳥は、小枝は嘴に咥えている。樹霊(ジェク)は、風霊(ウィデク)ほど飛ぶのが得意ではなくて、飛ぶときはこうして姿を変えるのだ。
 シェーヌの先に立って飛ぶ。ちゃんと付いてきているのを確認し、少し緑のあせた、乾いた色の森を眼下に見ながら飛んでゆく。
 その葉末の連なりに、奇妙な影が落ちるのに気づいた。一つはもちろん、鳥の姿をとったディワなのだが、もう一つの影はシェーヌには見えない。
 振り向いたとたん。一瞬見えた奇妙なもの、鳥のような、けれどその肩先から生えるのは左右二枚の翼ではなくて、五枚ずつほどの、蘭の花でも咲き出るような翼の束。それがもがきながら、なんとか飛んでいる、と見てとったとたん、しゅるんと姿が変わってシェーヌになった。
 気まずそうに、ディワを見る。
……見なかった、ことにしよう。
 ついさっき霊術に失敗して、父からも「いい子で待っていろ」と言われたのに。鳥に、なってみたくて、我慢できなかったのだ、咎めるほどのことでもない。
「シェーヌ」
 声をかけてから、改めてゆっくりと振り向いた。
「花、見る? 木を置いてある場所の、ちょっと先に、きれいな花が咲いているの」
「……いい」
「花、きらい?」
 シェーヌはかぶりを振る。
「きれい、って思ったり、すてき、って思ったりすると。風が吹いちゃうの」
「そう……」
 風霊(ウィデク)は風を繰る。シェーヌは、感情が昂ぶると、無意識に風を起こしてしまうのだろう。散って困るほどのものではなかったが、シェーヌがまた落ち込むだろうと思うと、やめておいたほうが良さそうだ。
「じゃ、川原に下りるわね」
「川原に木があるの?」
「細工用の木を置いてあるの」
 樹霊(ジェク)はときに木細工を頼まれたりする、告存晶(レペィキスタ)の籠もあるし、匠精(メト)から金属や石の細工と組み合わせる木彫りを頼まれることもある。匠精(メト)は細工は上手いが、樹霊(ジェク)のように木の内部の木目まで読むことはできない。だからわざわざ樹霊(ジェク)に頼むことがあるのだ。
「私たちは、人間と違って木を切らないから。枯れた木や、風で折れた木を集めておくの」
 ディワは翼のはばたきを止めると、宙に螺旋を描いて、高度を下げた。ふわりと舞い降り、精霊(ア=セク)の姿に戻る。本樹の小枝は、髪にさした。シェーヌも降りて来たが、周囲を見回し、きょとんとしている。おそらくシェーヌには、流木が雑然と転がった川原に見えるのだろう。
 せせらぎの音を聞きながら、流木の間を歩き回る。
 樹種それぞれの性質や、その木の個々の状態に応じて、そのまま干してある木もあるし、しばらく水につけてから干した木もある。樹霊(ジェク)が手を加えるに値すると思ったものだけを集めてあるのだ。
 シェーヌは、センティスよりも色白だから。
 ディワは、木肌の色が淡い木と濃い木を一つずつ選んで手にとった。大きな流木に腰をかける。興味津々の表情でシェーヌが寄って来たので、どうぞ、と、身振りすると、横に腰を下ろした。
 センティスの分は後にして。淡い方の木を片手で支える。木の内側に心を集中させる。木目を読み、木に尋ねるようによい場所を探す。「丸い球になりたいのは、どのあたりかしら」
 本樹の小枝を片手に取ると、細工をする木片の表面を、小枝の先で軽くなぞった。ふわと霧のように木粉が舞って、木が削れ始める。それを繰り返して、手のひらに乗るほどの木片を切り取ってゆく。それなりに神経を使う作業なのだが。見ているだけだと、作業の手つきは、全体にのんびりして感じるだろう。
「ね、シェーヌ?」
 川の水音に負けぬように、声を張って、話しかけてみる。
「シェーヌを王宮に預けるって、センティスは言っていたけど」
「うん」
「センティスに、行きなさいって言われた……?」
 ディワの目は細工する木片に集中していて、シェーヌを見なくても不自然ではないので。聞きにくいことも、意外にすんなり聞けた。
「ちがう。シェーヌが行きたい、って言ったの」
 シェーヌは明るく答える。
「……、どうして?」
「それは、シェーヌが王様に恋をしたからです」
 シェーヌの小まっしゃくれた口調の返事に驚いて、ディワは手が止まってしまう。シェーヌの表情は気まじめで、嘘をついているようには見えない。気をとりなおして、細工を再開する。本樹の小枝は、髪に簪のように挿した。空いた掌に丸みをおびた木切れを乗せ、さらに丸めるように撫ぜる。
「でもね、お后さまにはしてもらえないの」
 そうでしょうね、と、ディワは口には出さなかった。オーリンは300年近い治世を治めてきた王なのだし、シェーヌはまだあまりにも幼い。王は継嗣が欲しいのだろう。精霊(ア=セク)たちの間では、男女の歳が違いすぎると子供が生まれにくいと言い伝えられていた。
「ええと。……素敵な方、だと、思った?」
「うん!」
 ディワも、夏至祭や冬至祭に行って、王の姿を見たことがあるけれど。王には、峻厳なイメージしか残っていない。
「どこが、素敵だったの?」
「全部!」
 恋する女の子の返事としては、なかなかステキだと思ったが。ディワの好奇心は満たしてくれない。
「じゃあ……、素敵だと思ったところ、一番目から三つ教えてくれる、というのは、どう?」
「うん! 一等はね、きれいな方だと思った!」
「そう?」
 精霊(ア=セク)はたいがい美しい。地霊(ムデク)などはまれに老形をとる者がいるが、成熟した風霊(ウィデク)はだいたい青年から壮年期の、顔だちの整った姿をしている。オーリン王も壮年期の姿の美男子だったが、ディワは、他の風霊(ウィデク)に比べてとりたてて美しいと感じたことはなかった。
「あとね、優しい方! シェーヌにも、とっても優しかった」
「センティス殿だって、優しいと思うけど」
「うん、父上も、優しい!」
 それでは、オーリンが特別ということにはならないではないか。
 木片は、親指と人さし指の指先を合わせた丸ほどの大きさの木球になった。ディワは、唇の高さに捧げ持ち、息を吹きかけて、籠の形に整える。球の内側から木粉がこぼれて、告存晶(レペィキスタ)を入れる空間を形づくる。籠、と呼ぶが、編んだものではない。中空の球の表面に、中が見えるほどの隙間をこしらえたものだ。
「三つめは?」
「何があっても、守ってくださる方だと思う……」
 三つ目の答えだけが、語尾が小さくなった。たぶん、シェーヌは霊力(フィグ)の弱い父親と、歴代の王のなかでも強いといわれるオーリン王の霊力(フィグ)を、比べているのだ。比べてしまっている自分が、少し悲しいのだ。
「センティス殿は、賛成なさったの?」
 中空の球の表面に息を吹きかけながら、ディワは話題を、少し変える。表面はただの格子ではなく、透かし細工を入れることにした。少女の横顔の浮き彫りを一つあしらい、周りには風を表す渦巻き模様をいくつもあしらう。
「うん。王宮にいれば、いろいろな精霊(ア=セク)が来て、シェーヌにも霊術を教えてくれるかもしれない、って」
「それは、いいわね」
 シェーヌの母とちがって、父であるセンティスは、シェーヌを可愛がっている、と思う。だからこそ、シェーヌに霊術の制御を教えてやれないことは歯がゆいのだろうと、想像はついた。
「できたわ」
 シェーヌに、木の籠を手渡す。繊細な浮き彫りのある、中空の籠。
「きれい!」
 シェーヌの瞳が、輝いた。
「この中に、告存晶(レペィキスタ)を入れるの、やり方は判る?」
 シェーヌは、心もとなげな顔をする。
 精霊(ア=セク)は、目の前で術を使われると、霊力(フィグ)の流れを真似て、その術が使いやすくなる。
 ディワは、指の先に神経を集中して、小さな告存晶(レペィキスタ)を形づくって見せた。伸ばした人指し指の、ほんの少し先。何もない空間から、水滴のようなものが現れる。透明ではない、僅かに黄色がかった乳白色だ。真円の珠を掌で受け、シェーヌに見せる。
「分かった?」
「うん!」
 できてしまった告存晶(レペィキスタ)を、ディワは、シェーヌに渡そうかと思ったが。そこまで親しい間がらではない。告存晶(レペィキスタ)は、精霊(ア=セク)が死ぬまで滅することができない。呪術に使うという精霊(ア=セク)もいる。恨まれる相手は身に覚えがないとはいえ、そこらへんにひょいと捨てるのもなんとなくイヤだ。ディワは、それを指先でつまんで、するりと飲み込んだ。告存晶(レペィキスタ)を処分する、唯一の手段なのだ。
「作ってみて」
 シェーヌに、小さな木籠を手渡す。シェーヌは少し緊張した面持ちで、木細工の籠を人差し指と親指ではさむように摘み。内側がよく見えるように目の高さに掲げた。
 つるり、という感じで、木の籠の内側に、石が現れた。シェーヌの瞳に似た、灰色がかった淡い緑。艶やかな、けれれど真円とはほど遠い歪んだ形だ。見る見る、大きくなる。
「あ……、」
 注意して、と言う間もなく。かり、と、音を立てて、木の籠が割れた。告存晶(レペィキスタ)が大きくなりすぎて、籠を内側から破ったのだ。
「ごめん……な……さ……」
 謝罪の言葉が途切れた。シェーヌの目からぽろりと涙がこぼれる。ぐしぐしと手の甲で拭う。
「泣かないで大丈夫、また作ればいいから。初めてなんだものね、練習がいるよね」
 残した木片を探る。あといくつ作ればいいのかしら? ディワは首を傾げなら先ほどの作業を繰り返した。本樹の枝で木片を大まかに切り、掌で丸く整える。
 最初はしゅんと黙っていたシェーヌが、途中からまた話し出した。
「ねぇ、ディワは恋人、いる?」
「いるわよ」
「そうなんだぁ」
 シェーヌの肩が落ちる。
「?」
 そのがっかり仕方をどう尋ねようと思っていると、
「父上の恋人を探してるんだもん」
 シェーヌの側から説明してくれた。ディワは吹き出し、またしても手を止めなければならなかった。センティスの性格の良さは認めていても、ディワから見ると歳が上すぎる。精霊(ア=セク)は不老で長命とはいえ、歳が違うということは世界の鮮度が違うということだから、やっぱり話題が合わないのだ。
「ディワの恋人はどんな精霊(ア=セク)?」
樹霊(ジェク)よ。歳が近くて、話してて楽しい」
「会える?」
遠翔(テレフ)魔方陣を使うから」
 二人だけで使う約束の魔方陣の、隠し場所を聞かれる前に、ディワはさっさと話題を変えた。
「シェーヌは、センティス殿に恋人がいたほうがいいの?」
「うん。シェーヌが王宮に行ったら、父上にも恋人ができると思う」
 ……そういうことか、と、ディワは思う。センティスは、霊力(フィグ)の制御が効かない娘のために、妻に去られている。シェーヌなりに、自分のせいだと悩んだのだろう。そして悲しいことに、それは事実なのだ。
「ねえ。誰にも言わないから、本当のことを教えて。シェーヌ、本当に王様のことが好きなの?」
「大好きっ!」
 信じずに居られないほど明るく断言されて、ディワは、まぁいいかと肩をすくめる。シェーヌにとって、初めての恋の相手のそばにいられて、父にも恋人ができる、一石二鳥のできごとなのかもしれない。
 ディワは、木球に息を吹きかけて、中空の籠にした。
「これで、やってみて」
 さきほどの繊細な細工とはまったくちがう、大まかに削っただけの籠をシェーヌに手渡し、その表情が哀しげになる前に、素早く付け足す。
「シェーヌが告存晶(レペィキスタ)を上手に入れられたら、そのあとで、さっきみたいな浮き彫りをしてあげる」
 結局。満足のいく仕上がりになったのは、四つ目の木籠だった。

 シェーヌは、ようやくできた珠を入れた木籠を、大切に持っている。ディワは、センティスの分のための木片と、壊れてしまった最初の木籠、それに、シェーヌが作りそこなった告存晶(レペィキスタ)を抱えた。籠を壊すほど大きく、小柄なシェーヌが飲み下すのは辛そうだったからだ。
「帰りは、歩いてもいいかな?」
「うん」
 予定より多くの木細工に、霊力(フィグ)を使って、鳥に変じるのが辛かったのだが。シェーヌは幸い、理由を聞かずに頷いてくれた。力を使いすぎた、などと明かせば、シェーヌは自分の霊力(フィグ)をくれるなどと言い出しかねない。子供から霊力(フィグ)を貰ってはいけない、というのが、精霊(ア=セク)の慣習だ。それを説明すると、たぶんまたシェーヌの泣きそうな顔を見なければならない。
 ディワは、雨が少なく乾いた大地を踏んで、川原から森に入った。晴れが続いて、森の草などは萎れ始めている。やっぱり雨を頼んでよかった、と、ディワは思う。
 シェーヌは、風霊(ウィデク)独特の、地面の上ぎりぎりを浮いているような進み方で、ふわりとついてくる。森の木や草を指先でつついたり、土や緑の匂いを嗅いだり、木漏れ日と戯れてくるくると回ってみたりする。ああ、そうか、この子はいつもは森の上を飛ぶから、森の中は珍しいのだ、と、ディワは気づいた。風霊(ウィデク)は、美しい。シェーヌも、また、美しい子供だった。森の木々の間を歩む風霊(ウィデク)の少女は、匠精(メト)の描く絵のように美しい。この子が霊力(フィグ)の暴走を引き起こしては自分も周囲も悩ませているようには、とても見えなかった。
 ディワは大きく丈夫な木を選んでは軽く触れてゆく。
「何をしているの?」
 シェーヌはひどく無邪気に聞く。
「ちょっとずつ、霊力(フィグ)を貰ってるの」
「本樹じゃなくても、貰えるの?」
 シェーヌは、ディワが本樹以外から力を貰っている理由よりも、樹霊(ジェク)の能力に興味があるようだ。
「本樹からは一番貰うわ。そのかわり私が、根を伸ばしたり、枝を伸ばしたりするのを手伝っているのだから、いいの。この子たちも」
 ディワは、森の木々たちに視線を投げる。
「今日は私が働いて、雨を降らせてもらうんだから、ちょっとくらい力を貰ってもいいのよ」
 そういえばシェーヌは疲れないのだろうか、とディワは思う。告存晶(レペィキスタ)を四つも作ったのだ。
 シェーヌは、何かを思いついたようで、ぱっと表情を輝かせた。
「ね、ディワ!、シェーヌが強い風を作って、川の水をばしゃんと飛ばして、森の木にあげたらどうかしら?」
 いや、シェーヌはまだまだ、元気が余っているらしい。
「木はもしかしたら喜ぶかもしれないけど。川のお魚は困ってしまうわ」
「そっか……」
 シェーヌが、しゅんとする。
「もうじき、センティス殿が雨を運んでくれるから、いいのよ」
 ディワは微笑んで、シェーヌを慰めた。

「告存晶-レペィキスタ-」3

 シェーヌと分かれた後。センティスは、シェーヌが見つけた雲と、ディワのいる森の距離を、おおざっぱに測った。雲を散らさない程度の風で運ぶと、速度はどうしても限られてくる。
「明日になるな」
 運べなくは、ないが。明日までシェーヌを待たせておくの憚られる。というより、
「俺が会いたいのか、娘に」
 こんなことで、王宮に預けておけるのだろうか。と、溜息をついた。センティスも王宮に留まる、という選択肢は、とりあえず除外する。慣例的に、王宮に留まるのは、王とその妻子(もしくは女王とその夫子)、王宮の宝物や武器を維持する匠精(メト)と、王を補佐する霊力(フィグ)の強い精霊(ア=セク)ということになっている。王が養子をとるだけで例外的な出来事なのに、その養子の実父がその傍らにいるのは、例外が多すぎる気がした。
「今日は、うん、ディワにも悪いしな」
 自分を納得させて、周囲を見回す。なにかもうちょっと早く、約束を果たす手段はないものか。
 雲よりも手近なところに、湖を見つけた。風を作り、水面に吹き付けて、湖の周囲の森の厚い枝の下、青葉闇と呼ばれる暗がりに、湿った空気を貯める。突然起きた淡い霧に、虫などは驚いているかもしれないが、命にかかわるものではないはずだった。霧が散らないように、周囲にも見えない風のベールを巡らせる。夏の日差しの下、午後の数時間を、森に霧の塊を作ることに費やしたが、それでも遠くから雲を運ぶよりは速い。
 夕刻。太陽が傾き、気温が下がる。自然本来の風も凪いで、邪魔が無くなったところで、霧の塊を、ディワの森のあたりに慎重に導いた。そこからゆっくり高度を上げていくと、淡く見えた霧は、上空の冷気にふれて一気に色を濃くし、ほどなく雨滴を結びはじめた。最初はぽつりぽつりだった雨は、次第に篠突く激しさになる。
 告存晶(レペィキスタ)を作る霊力(フィグ)は、温存しなければならないので。センティスは、雨を避ける風のベールをまとう余力もなく、濡れながら降下する。疲れた体には、濡れた髪や服さえも重く感じられた。
 ディワのいる木を探すのは簡単だった。樹霊(ジェク)の憑く木は、ひときわ高い。その頂から、白い衣の人影が飛んでくる。シェーヌだ。
「父上!」
 シェーヌは、風のベールで雨を避け、両手には木細工を握りしめていた。
「ディワのところへ行こう」
 センティスは、シェーヌに声をかけて、木の根元まで降りた。ディワは、本樹の前、厚い木枝が雨を凌ぐあたりに待っていた。
「センティス殿!」
 風霊(ウィデク)の顔を見て、ディワの表情が晴れる。
「夕立かと思ったろ?」
 自然の夕立が降ってしまえば、風霊(ウィデク)の約束は果たせないから。ディワは心配してくれていたのだろうと思う。実際、センティスが使ったのは、自然の夕立と同じ摂理だ。ただ風霊(ウィデク)霊力(フィグ)を少し足しただけ。
「湖の水を少し借りて来た」
「お魚は?」
 シェーヌが心配そうな顔をする。
「水位は大して変わっちゃいない、湖が枯れたわけじゃないから大丈夫だ」
 シェーヌが、安心したように笑顔になって。両手のものを差し出した。
「父上! 見て見て、ディワが作ってくれたの!」
 シェーヌが差し出したのは、慣例どおり、丸い告存晶(レペィキスタ)の入った小さな木籠。木籠には、強靭な蔦を編んだ、紐がつけられている。それから、告存晶(レペィキスタ)と同じ色の石が、丸くなかったり大きすぎたり、三つ嵌め込まれた木製の帯飾り。何が起こったかは、だいたい想像がつく。
「これは……、ありがとう。ディワ、この雨で対価は足りるのか?」
「大丈夫。森を見てまわったら、思ったよりも草が萎れてて。みんなこの雨を喜んでいると思うわ。それから、これ。センティス殿の分」
 ディワが、もう一つの木籠を差し出す。濃い色の木籠に、薄い色の風を表す渦巻き模様がいくつも嵌め込まれている。シェーヌが壊した籠のかけらだった。
「お二人とも、百年に一度くらい、私か他の樹霊(ジェク)に籠を見せてね、罅でもできたら、直すから」
 センティスは、ディワに頷いて、自分が告存晶(レペィキスタ)を入れる木籠を受け取った。全体に二色に仕上げられ、センティスが携える分より派手やかで、美しい。
「ありがとう。シェーヌが身につけるには似合いそうだ」
 センティスは、気持ちを集中して、余力の少ない霊力(フィグ)を量る。大丈夫、これなら行けるだろう。軽く頷いて、凝った作りの木籠を、目の高さまで上げた。ゆっくりと、木籠のなかに丸い石が生まれてゆく。その色は、シェーヌと同じ、灰色を帯びた緑。センティスは籠を壊すこともなく、無事、真円の石を入れ終わって。シェーヌに、向き直った。
「愛しき娘シェーヌに。お前に幸があるように」
 告存晶(レペィキスタ)を手渡した。シェーヌも、自分の告存晶(レペィキスタ)の籠と、告存晶(レペィキスタ)を嵌めた帯飾りを、センティスに差し出す。
「大好きな父上に……」
 センティスは籠と帯飾りを受け取って、帯飾りに帯を通し、その傍らに蔦の紐を結んだ。シェーヌはまだ手間どっている。センティスは、シェーヌに腰の飾り輪を支えさせ、告存晶(レペィキスタ)の籠の紐をきちりと結びつけてやった。普通なら、親子が告存晶(レペィキスタ)を交わすのは、子供が自分で自分のことができるようになるころだ。霊力(フィグ)がきちんと制御できれば、幼精霊(ミア=セク)でも、他の精霊(ア=セク)の従者となって、親元を離れることがある。だがシェーヌは、姿形だけは大人並みでも、その霊力(フィグ)を制する力は、まだ従者にさえなれない幼さだった。
「シェーヌ」
 センティスはシェーヌを抱きしめた。ずっと抱いてやれなかった。シェーヌが心を読むことがあるからだ。だが、今ならば。この瞬間の、心すべてを読み通されたとしても。シェーヌが愛しく、別れが惜しい感情。それでも、シェーヌにとって必要不可欠なことを学ばせるためには、王の養子とするのが一番いいのだという決意。それ以外の雑念など、心から払えている自信があった。
「父上」
 シェーヌが、力いっぱいしがみついてくるのが分かる。何年ぶりだろう、こんな風に抱き合うのは。シェーヌは、霊力(フィグ)は強くても、腕の力はまだ子供のそれだ。愛しくて、悲しくて、それでも別れが最善で。それを二人ともが互いに分かっていて。
 軽くとんと突き放すように、身体を離したのは、シェーヌのほうだった。
「シェーヌ、行くね。父上は、休んでね。ディワの木の上はとてもいい風が吹くよ。王宮の方向は分かるから大丈夫。遠翔(テレフ)もしないから、大丈夫。本当に、王宮にも来てね」
 最後の方だけ、声がかすれて。センティスから顔をそむけるように、シェーヌは目を瞠る勢いで王宮の方角へ飛び出した。疲れきったセンティスには、追いつけないほどの速度。
「シェーヌ!」
 センティスが叫んでも、振り向かなかった。
「センティス殿。シェーヌは、泣いているを見られたくなかったんじゃないかしら」
 ディワが穏やかに声をかけてきた。
「ああ。俺も、かもしれない」
 センティスは、声を抑えて答えたが。語尾が震えるのを隠しきることができなかった。涙が、どうしようもなく溢れていた。

 翌朝。オーリン王の宣の術が、アスワード世界のすべての精霊(ア=セク)に届き。ディワは驚愕した。
「先々王の曾孫、センティスの娘シェーヌに、次女王の位を授ける」
 一晩風を浴びて回復したセンティスに、
「王宮に、『預ける』って、こういうこと?」
と確認する。センティスが困った顔をした。
「うん、王の養子という話だったんだが。『次女王』とはまた、オーリン王は、ずいぶんご大層に響く位を新設したな」

 こうして。実の父の傍らに居場所を持てなかった少女は、王宮で、霊術を学び、居場所と、位と、……権力とを得ることになるのだが。それはまた別のお話。

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