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チトと、ナズナの宝珠

競作小説企画 第七回「夏祭り」参加

1.ハンドルネーム 麻生新奈
2.作品タイトル チトと、ナズナの宝珠
3.使用したお題 「からんころん(からころ)」「雲」「日焼け」「生足」
(「金魚」「浴衣」「紫陽花」「朝顔」は、登場していますが、語が出ません)
4.作品の分量(原稿用紙換算) 36枚
5.ホームページタイトル/アドレス。 AS ASAS de ASOU~麻生新奈's Site/http://homepage2.nifty.com/as-o2/

(ルビ多用のため、GoogleChrome/InternetExplorer推奨です)




「ほら、ちゃんと手を上げていてちょうだい」
「うん」
 ミナセは、ぴんと横に伸ばしたつもりだった両の腕が、鏡の中で真横よりも下がっているのに気づいて、あわてて力を入れなおす。
 ミナセは、まだ小学の一年生で。祭の衣装が一人では着られずに、母親に着付けてもらっている。まっすぐ縫った平たい布なのに、袖に腕を通して身頃をあわせ、細い紐を胸の周りにぐるりと回して結ぶと、ミナセの体の線に沿って、みるみる服らしくなる。母親の手が、くっくとあちこち布を引きながら、裾や襟の線を整える。
「母さんんが子供のころは、普段も着ていたのよ」
 母親はそういいながら、細い紐が隠れるように、帯を巻いて、後ろを可愛く結ぶ。
「ふぅん」
 ミナセは腰の高さまで垂れる袖を振って見るのに夢中で、生返事だ。鏡の中の自分は、見違えるほど晴れがましい。この衣装は、今はミナセが祭に着るばかりだが。衣の裾に染められているのは、祭より少し後、真夏の朝に咲く花だ。淡い紫の丸い花に、薄い緑で獣の足跡のような形の葉と細くくねる蔓があしらわれている。母親が子供のころ、盛夏にあわせて仕立ててもらったものなのだろう。
「似合うこと」
 母親に言われたのが照れくさくて、ミナセは、くふっと笑う。その背を、母親の掌がとんと叩いた。
「一人で大丈夫?」
「うん」
 母親が、まだ赤ん坊の弟の世話で忙しいことはミナセもよく判っている。それに、もう小学一年なのだ。
「夕暮れまでには戻るのよ」
「わかってる!」
 そのときだけは母親の目を見て、きちんと返事をした。
 ミナセは、着替えの間、はずしていた銀符を、香台からとって。細い鎖に、首を通す。ミナセの家の香りは、柑橘の実の皮と葉を混ぜたもの。銀符には、その香りを移した香り紙を差し込んであるので、首から下げると微かに香る。
 香台のうえに一つだけ置きっぱなしになっている銀符は、ミナセの兄のものだ。三年前に、妖魔(ヴァン)に食われた兄の。
 この街、トキホには、夕刻になると妖魔(ヴァン)が出て。畑地や牧場から街へ戻る人を襲う。
 妖魔(ヴァン)は銀を嫌うので、捕らえた人を運び去る前に銀符をむしりとる。朝になっても誰かが帰ってこないと、残された家族は、その家の香り紙を持って、役所へ届け出る。役人は、銀符犬に香り紙の匂いを覚えさせ、街の周囲に放って、銀符を探させる。
 人口一万の街で、年におよそ三百人が妖魔(ヴァン)の犠牲となる。
 兄は二年前、銀符だけ戻ってきた。兄は、小学の四年生だった。母親と抱き合って泣いたのを、ミナセは今も覚えている。
「じゃ、気をつけて行ってらっしゃい。……お祭、誰と行くの」
「イズナとか、みんな。あと、チト」
 イズナは、小学一年の同じ組の親友で、家では何度も話に出していたから。母親はにこりと笑って、ミナセを送り出してくれた。
「おいで、チト!」
 赤毛の愛犬は、嬉しそうに、ミナセの後をついてくる。

 ナズナは先に着付けてもらって、妹のイズナの着付けが終わるのを待っている。というか、見物している。
「おばあちゃま、きつい」
 ナズナより二つ下のイズナは体をくねくねさせる。うまく動けない、と全身で訴えているつもりらしい。
「これくらいにしないと、着崩れますよ」
 帯を結んでいるユキヌに言われて、イズナは頬をぷうと膨らませる。イズナは喜怒哀楽の鮮やかな子だが、今日はとりわけ、見ていて飽きない。
 姉妹の衣装は白地に水色の流れ模様を染め付けたお揃い、父と母が揃いにしていた衣装を小さく縫い直したものだ。姉妹の両親は、三年前に妖魔(ヴァン)に殺された。
「ナホトカさま、晴れますか?」
 イズナを着付けながら、ユキヌがナホトカに尋ねる。ナズナとイズナの、おばあちゃまとおじいさま。
 おばあちゃまはいつも、おじいさまを様づけで呼ぶので、ナズナもイズナも自然とそうなった。
「うむ、大丈夫だ」
 ナホトカが重々しく頷いて、
「よかった!」「うん!」
 ナズナとイズナは、笑みを交わす。
 この季節、トキホの街は雨が多い。道は砂利を粘土で固めたような代物なので、裾がくるぶしまである祭衣装は、雨が強いと汚れてしまう。けれど、この地霊(ムデク)祭の日だけは、雨が降らないといわれていた。
「二人とも、結界の外にはくれぐれも出てはいけませんよ。このところ雨が続いたから、妖魔(ヴァン)もきっと飢えているでしょうし」
 妖魔(ヴァン)は、雨と陽光を嫌う。長雨があけた日の夕は、とりわけ危うい。
「はい」「はぁい」
 ナズナとイズナは、返事をすると、木下駄をカラコロ鳴らして駆け出す。二つ年下のイズナが、声も足音もナズナの倍ほど大きい。
 衣装は、両親の縫い直しだが、木下駄は白木の色も新しい。木細工を店に売ることもあるユキヌの、手作りなのだ。
 ナズナとイズナは銀符を持たない。代わりに、首の鎖には、透き通った宝珠を入れた、小さな籠のような飾りを下げている。ナズナの宝珠は二つ。イズナの宝珠は一つ。駆け出すと、衣装の内側で首飾りが小さく跳ねる。
 トキホの街路は、白泥を塗った壁に、黒い瓦を載せた塀が続く。街路の、塀の際には、花などを植えている家が多い。夏が近づくこの季節には、若緑の葉に、薄紫や淡紅、水色の、手毬のような花が、たくさん咲く。
 その花と葉の色の間、姉妹は、白に水色の流れ紋を染めた裾を揺らし、カラコロと木下駄を鳴らして駆けてゆく。ナズナもイズナも、髪の色は濃い赤茶。外遊びがあまり好きでないナズナは色白で、剣道を習っているイズナは健康的に日焼けしている。
 大人の目より少し高い塀から覗く家屋は木造で、外からは無論見えないが、地下室を設けるのが普通だった。万一妖魔(ヴァン)が家屋を侵したときに、住人は地下に身を隠し、階上には火を放って抗することになっている。泥塗りの塀は、その火が隣家に延焼するのを防ぐためである。
 妖魔(ヴァン)は、めったに街には入らない。守護地霊(ムデク)の力を篭めた結界石が、街の周囲を守っているから。年に一度、地霊(ムデク)に感謝を表すのが、地霊(ムデク)祭だった。

 灰や茶の石板を彩りよく敷き詰めた街の広場には、新しい藁で縒った綱が張られ、真っ白い紙を折った飾りが風に揺れる。ほとんどの者が、常とは違う古式の服を着ているので、どこか違う街にでも来たようだ。すとんと長い裾、垂れた袖。たいがいが白の地に、色とりどりに初夏から夏の意匠を染めている。
 この世界、アスワードには、全部で十七の都市がある。十六の他都市は、いずれもトキホには遠く、陸路を取れば旅の途中で夜が来る。妖魔(ヴァン)に、食われてしまう。残る移動の手段は、船しかない。翼で空を飛ぶ妖魔(ヴァン)は、濡れるのを嫌い、海に出た船は襲わないのだ。けれど、船乗りはある種「まつろわぬ者」として扱われ、船を使ってまで他の町を訪れる者はめったにいない。
 
「イズナ!」
 ミナセは、人ごみの向こうにイズナを見つけて、腰まで垂れた袖の端を指で押さえ、旗のように振る。チトは、人ごみに怯える気配もなく、ミナセの傍らに立っている。たっても、ピンと三角に尖った耳が、ミナセの腰までも来ないくらいに小柄な、短毛の犬である。
「ミナセ!」
 イズナが姉の手を引っ張るようにして、駆け寄ってくる。イズナの姉・ナズナは、妹に遅れがちな自分に照れるように、僅かに笑みを浮かべている。二つしか上ではないのに、物静かなせいで大人びて見える。白に水色紋様の服がよく似合い、人形のように愛らしい。イズナだって、姉によく似た整った顔立ちなのだが、あんまり大きく笑み崩れていて、人形にはとても見えない。
 家が近い同士の仲良しが数人集まって、みなまだ小学生だ。
 この街で、小学校というものができてまだ十数年しか経っていない。新し物好きな領主の肝入りだった。電気を発明し、妖魔(ヴァン)が嫌う電気で街が守れないかと、研究している領主。男性はシャツにズボン、女性はブラウスにスカート、という服装を推したのも領主。
 年に一度、昔ながらの服装が大手を振れる祭は、大人たちの懐古心をそそるものなのだけれど、子供にとっては、ひたすらに物珍しい。
「人がいっぱいいるねえ!」
 ミナセもイズナも、せわしなく周囲を見回した。
 腕に覚えのある者は、地面に籠や敷布を置いて、祭の日だけの小さな店を出している。髪や服につける布飾り、浮き彫りをした木や竹の細工、祭らしく鮮やかな絵付けをした陶器の類、まだ明るいのに灯を入れた色ランプ。食べ物は、花や小鳥の型どりをした焼き菓子や、井戸水で冷たく冷やした果物、噛み締めると味が出てくる干した魚や燻製の肉までが、子供の目を引く範囲。簡単な素焼きの器ごと売る酒は、大人だけが行列している。日中から堂々と呑めるのは、祭の日の特権なのだ。
「昔はもっとにぎやかだったんだって。領主さまが祭を司っていたころは」
 ミナセは、両親に聞いた薀蓄を垂れる。
「へえ!」
 イズナは無邪気に返してくれたが。
「奥様とお子様が亡くなってから、領主さまが地霊(ムデク)さまを祭らなくなったって、ほんと?」
 姉のナズナは、少し声を潜めて尋ねてきた。
「そうなの?」
 ミナセが問い返すと、ナズナは、
「おじいさまに、聞いたの」
 と、答える。イズナとナズナの祖父は、ミナセも会ったことがある。とても物知りそうな、厳かな老人だ。
「聞いたことある」
「そうらしいよ……」
 周りの子供たちの賛同の声が小さいのは、子供でさえ憚る話だからだ。街は地霊(ムデク)に守られ、妖魔(ヴァン)は「めったに」街に入らない。だが、十何年か昔、妖魔(ヴァン)は街のちょうど中心に位置する領主の館をまっすぐに襲い、領主の妻と四人の子を殺した。地霊(ムデク)が街を守っている「はず」にもかかわらず。領主自身が、何百年も前の守護地霊(ムデク)の血を引いているという言い伝えがあるにも、かかわらず。
 以後、領主は、地霊(ムデク)に感謝するこの祭に関与していない。街の民が「勝手に」催しているのだ。
 この街で、特異な才を持つものを、異能と呼ぶ。異能は、妖魔(ヴァン)にとっては、常の人より味が良く、その家族や仲のいい友人などもその香が移ると、……妖魔(ヴァン)に狙われやすくなる、と言う。そして、現領主もまた、異能だという噂があった。
「お店、見よう?」
 少し沈んだ雰囲気を吹き飛ばそうと、ミナセは声を張り上げる。
「うん!」
 イズナが乗ってくれて、とりあえず、一番近い店に駆け寄る。ほかの子たちも、つられて、同じ店の前にかがみこむ。犬のチトが、ミナセを見失うまいと、子供たちの隙間に頭をつきいれ、ハッハと息を吐きながら舌を出している。
 祭といっても、人が繰り出すのは日没前までのわずかな時間、その間に店を広げて、売って、撤収まで済ますのだから、出店は、地面に敷布を敷くか、籠や器を置く程度の簡単なものだ。祭の日に売るためにちまちまと造り溜めた手作りの小物屋には、目を引く髪飾りや飾り紐、木や竹の細工が並ぶ。
「ねえ、これ! ブラウスの襟のところにつけるんだよ、可愛いなぁ」
 ミナセは、赤い襟飾りを手にとった。艶のある布をきれいな結び目にして縫いとめ、ブラウスの襟の下に隠せる留め紐をつけてある。色も形もそっくりなのが、二つだけ残っていた。
「イズナ!、お揃いにしない?」
 はしゃいだ声でイズナを振り向いたが。イズナの表情は、今ひとつ、はかばかしくない。
「う、うん」
 見ていた掌をすごい勢いでぎゅっと閉じて、困った顔をした。
「イズナ、買ったらいいじゃない? 私の分、あげるから」
 掌の小銭を差し出したのは、イズナの姉、ナズナだ。それは、ミナセが思っていたよりも、だいぶん少なくて。イズナが姉と同じ額を貰っていても、二人の分を合わせてようやく、目当ての品が買える金額でしかない。
「いいのっ?」
 イズナが、ナズナの顔を振り仰ぐ。
「買ったら、ときどき貸して?」
 ナズナは、にこにこ頷いている。
「うん!」
 イズナは、いそいそと姉のお金を受け取り、赤い布飾りを買っている。
「お揃い、ください」
 買いながら、ミナセは、少ししゅんとする。イズナの家は、ミナセの家より貧しい。日々の食は、祖父が畑から持ち帰る作物で多くを賄うが、現金の収入は祖母が拵える木細工が頼りだと聞いていた。学校の費用も、イズナが習っている剣道の礼金も、現金が要る。
 祭の衣装も、ミナセはいかにも女の子らしい大輪の花を染めているのに、イズナ姉妹は子供にしては地味だった。たぶん、大人の服をほどいて縫い直したんだ、とミナセは気づく。
 気安く「お揃い」と言った自分に、ちょっぴり腹を立てながら、ミナセは、自分の残りのお金で、三人で楽しめるものはないかと、周りを見回し。格好のものを見つけた。
「ねえ、あれ、やってみない? 網、私が買うから、交代で、しよ?」
 それは、大人が一抱えもするような大きな陶器を三つも並べた、小魚すくいだった。
 子供たちが次々と、薄紙で作った網を受け取って、袖をまくり、大きな器の傍らにしゃがんで挑戦している。なかなか難しそうだが、ときどき歓声があがるのを見ると、魚を掬いおおせる子もいるようだ。
 ミナセと、イズナ・ナズナの三人で、ぱたぱたと駆け寄って、大きな器を覗き込む。親指ほどの黒い魚、小指ほどの飴色の魚に混じって、ほんの数匹、目にも鮮やかな真っ赤な魚が混ぜてある。小さな生き物が器の中で行きかうのを見て、意味もなく溜息をついたミナセをどう思ったのが、チトまでが器の縁に前足をかけて覗きたがった。ナズナが柔らかい手つきで、チトの短い毛に覆われた前足を押さえ、地面に下ろしてくれる。
「赤いの、ほしいな」
 ミナセは半ば無意識に呟きながら、お金を払い、薄い紙を張った網と、素焼きの碗を受け取る。碗には、掬った魚を入れられるように、水が入れてある。網は、遠目にも薄いことは判っていたけれど、目近で見ると、本当に心もとない。
「私、いい……」
「え?」
「この子、押さえてる」
 言われてみれば、チトは、ナズナの片手で赤茶の毛皮の腰を、もう片方の手で白い毛の生えた胸元を撫ぜられて、ゆるゆると尾を振っている。どこかへ駆け出すことも、魚の器に前足や鼻先を突っ込むこともできないように、さりげなく。
「ミナセちゃんや、イズナのほうがきっと上手にすくえるよ」
 ナズナは、穏やかに笑った。
「ううん、私は、応援する係」
 イズナはやたらに偉そうに言って、ふん、と胸を張る。
「え、ええ?」
「ミナセ、がんばれ、ミナセ、がんばれ」
 歌うように繰り返し始められると、なんだか始めなければいけない雰囲気になった。ミナセは、地面について汚れないよう、袖を捲って、しゃがみこんだ。碗と網を構える。小ぶりの赤い魚を目で追い、ふらりと水面近く上がるのを見計らって、網をすいと水にくぐらせた。白い紙の網に、一瞬、鮮やかに赤い色が乗った。すばやく、碗に受ける。
「ミナセ、すごーい! もういっちょ! がんばれ!」
 イズナは網を受け取ってくれそうにないし、網はすっかり水に濡れて、一秒ごとに弱っていく気する。ミナセは、続けようと思い切り、今度は黒いのを狙った。黒は、網の上で、びちりと尾を振り、あっと思う間に紙の網は破れてしまった。
「ほい、お嬢さん、一匹だねえ」
 小魚掬いの店主はにこやかに、魚を水ごと素焼きの広口の瓶に移し、瓶を下げて歩けるように瓶口まわりに紐を結んでくれる。
「ずっと飼うなら、これくらいの器に入れてやってね。庭に置くなら、鳥が来ても隠れられるように、石でも入れるといいよ」
 魚が元いた、大きな器を指した。言われてみれば、他人の家で見覚えがある。水草なども配して、庭や玄関先を飾るのだ。
「イズナ、お家にこういう大きな入れ物、ある?」
「ないよ?」
「うちも、ない。どうしよう」
 ミナセは、赤い魚が欲しい、とは思ったけれど。飼う都合までは、考えていなかった。
「ね、誰か、飼えない?」
 仲良し仲間たちに声をかけてみたが、誰も首を縦に振らない。
「お店に、返す?」
 誰かが名案を提案する口調で言ったが、それもなんだかもったいない。イズナがあんなに応援してくれたのに。せっかく赤い魚が取れたのに。
「おんなじような器でなくても、なんかないかな」
「鍋とか、どう?」
「使ってない鍋なんて、ないよ」
「誰か、庭に池、ない?」
「池なんて、大金持ちの家じゃないと……、えっと、たぶん、領主さまとか」
 池。庭には池がないけれど、似たものなら、あった。
「畑の横の、貯水池に放してくる」
 ミナセは言って、すたすたと歩き出す。
「おいで、チト」
 ミナセの声に、ナズナがチトから手を離した。チトは軽く駆けてミナセに並ぶと、ミナセの歩く速さに合わせた。
 ミナセは、そろそろ撤収が始まった祭の広場に背を向け、町の門に向かう。
「待って、ミナセ」
 驚いた仲間たちが、ぞろぞろとついてくる。
「畑って、街の外でしょう?」
「そうだけど」
 そうだけど。魚が放せるような場所が、他に浮かばない。
「ダメだよ、もう夕方になるよ」
「話してる暇に、すぐ行って、すぐ帰ってくるもん」
 ミナセは足を止めずに、ぐんぐん歩く。木下駄が、こっこっこっとリズムを刻んだ。
「雲が出てるし、どんどん暗くなるから」
 暗くなる。妖魔(ヴァン)が来る。
……大丈夫。
 誰かに囁かれでもしたように、その言葉がはっきりと脳裏に浮かぶ。
「大丈夫、だよ」
 なぞるように、言葉を口にして。ミナセは、仲間たちの危惧を振り払う。
 町の門。ここが言い伝えの、守護地霊(ムデク)霊力(フィグ)の限界。この先は、結界の外だという。
「ここからは一人で行くから。待っててくれる人は待ってて。もう家に帰らないといけない子は、帰ってね。おいで、チト」
 一人と、犬一匹と。素焼きの瓶のなかの、魚一匹。きれいな赤い魚。
……大丈夫。
 街の門の外は、畑地だ。そこで働く人々が、足早に帰路につく時刻。
「これから出ていくのは、危ないよ」
 声をかけてくる大人に、
「大丈夫」
 と返す。ミナセが、日が高い時刻にときどき遊びにくる貯水池だ。街の門から、たいした距離ではない。周囲の畑に水をやるための池だが、水がすっかり枯れることは、まず、なかった。水草も生えている、小さな魚が食べるものはあるだろう。浅いから、赤い魚を放しても、また会えるかもしれない。
「あの池に、この子を放してあげるんだ」
 それは、素晴らしい考えに思えた。のだが。
 池についてみて、愕然とする。思ったより、浅い。
「これじゃ、鳥にみつかっちゃう」
 この池で、足の長い白い水鳥が、魚を取っているのを見たことがあった。これまでは、きれいな鳥だと好感をもっていたけれど、今となっては魚のほうが大切だ。
 小瓶の中身を池に空け、赤い魚が泳ぎ出すのを確かめてから、ミナセは、どうしよう、と、周囲を見回した。
……鳥が来ても隠れられるように、石でも入れると
 小魚掬いの店主の言葉が浮かび、同時に心の奥が警報を発する。もう戻らないと、危なくないかな?
……大丈夫。
 笑みを含んだ声が、警報をかき消した。
 ミナセは服の裾をからげると、手ごろな石を抱え上げた。下駄を蹴りぬぎ、生足でじゃぶじゃぶと池に入る。石を池底に置いて。いったん陸に上がり、次は平たい石を選んだ。さっき置いた石に、たてかける。下の隙間に、小さな魚が隠れられるように。
 ほら、これで、
……大丈夫。
 突然、チトが、吼えはじめた。ワン、ワン、ワン、ワン、それに重なるように、パーン、と、別の音が弾ける。花火。トキホの街では、花火は、妖魔(ヴァン)が出た合図。周囲の人を警戒させ、町の中心の領主の屋敷に詰める魔狩(ヴァン=ハンテ)を呼ぶ。
「……妖魔(ヴァン)?」
 あわてて下駄を履きなおし、街へ駆け出す。チトが、ミナセの速度にあわせてついてくる。
 畑の間の道は、けっして広くはないが、朝の市場に野菜を運ぶ荷車の便を考えて、直線に作ってある。荷車の踏み固めた道を、ミナセは、走る。街の門が、まっすぐ先に見える。誰かが誰かに肩車して、小さな松明を振っている。では、あれは。さっきの花火は。あの子たちの誰かが上げた? 街の門から見える距離まで、妖魔(ヴァン)は近づいている?
 振り返りたく、なかった。少しでも、速度が落ちるのは、怖かった。振り返って確かめるのも、怖かった。でも。それなのに。ミナセは、振り返らずにいられなかった。
 雲が斑に赤く染まった空に、妖魔(ヴァン)の影。妖魔(ヴァン)の大きさは人ほど、骨に膜を張ったような二枚の翼で空を飛ぶ。遠いのに、まだ遠いのに、顔だちが見えたような気がした、その唇が「大丈夫」と動くのが見えたような気がした。大丈夫、今宵は獲物を持ち帰れる、と。
 妖魔(ヴァン)は、全力で疾走する馬と同じくらいの速度で飛ぶという。着慣れない長裾の衣を着た女の子とは、比べようもないほどに速い。木下駄も走りにくいが、砂利まじりの道に裸足になる勇気がでない。
 一瞬、諦めかけたミナセの耳、自分の荒い呼吸の音の隙間に、遠く、何かの音が届いた。近づいてくる。
「バイク……?」
 この街で、バイクを使うことを許されているのは、魔狩(ヴァン=ハンテ)だけだ。妖魔(ヴァン)を斬る霊武器を持つ者。街の守護役にして、異能の者。来る、助けに、来てくれる。
 諦念は霧散し、ミナセは走った。息が切れるのも、足が痛いのも、かまわず走った。息切れに霞む視界のはしっこで、伴走するチトがミナセの顔を見上げた、と思った。大きな翼が起こす風が、たしかに斜め後ろから、ミナセの頬を撫ぜた。
「追いつかれた……」
 動揺に足がもつれ、転ぶ。転がって仰向けになったミナセめがけて、兎を狙う鷹のように、妖魔(ヴァン)が急降下する。暮れ残る夕光のなか、腰覆いと沓しかつけない異様な風体が、ミナセに迫った。その影へ、チトが跳んだ。
 小柄な犬、それでも全力の体当たりに、妖魔(ヴァン)の狙いがそれた。狙い直そうと羽ばたいて高度を上げる妖魔(ヴァン)の腕には、チトが硬く喰らいついている。顎の力でぶら下がっているだけ、妖魔(ヴァン)の皮膚や肉は、獣の牙でも鉄の刃でも傷つけることができない。妖魔(ヴァン)の腕に食い込めるのは、魔狩(ヴァン=ハンテ)の霊武器だけなのだから。
 妖魔(ヴァン)は、牙の覗く口元に不機嫌な表情を浮かべ、ぶるんと腕を振った。チトがこらえきれず、落ちる。近づくバイクの爆音に、
「チトっ!」
 ミナセが呼んだ声と、チトのキャンという悲鳴が重なった。
「下がって!」
 鋭い声と爆音が、ミナセの横を駆け抜け、少し先で軋む音を立てて止まった。魔狩(ヴァン=ハンテ)がバイクを飛び降り、霊武器の鞘を払う。剣が、黄金の光を発する。異能の顔を隠す半仮面、背後で夕風に舞う長い髪。《琥珀》という通り名だと聞く、まだ若い女魔狩(ヴァン=ハンテ)だ。
 ミナセは、魔狩(ヴァン=ハンテ)が来てくれた安堵と、チトに救われた動揺で、ぼろぼろと泣きながら、這いずるように、チトが落ちたあたりを探す。チトはぐったりと横たわっていたが、抱えあげると、いかにも痛そうに、弱々しくキャウンと鳴いた。
 妖魔(ヴァン)は、しばらく魔狩(ヴァン=ハンテ)の隙を狙ってミナセを攫おうとしていたが、数分後に、狙われた者を収容する救護自動車が到着すると、諦めたように飛び去って行った。

 ミナセを乗せた救護自動車は、街の門で止まった。ナズナは、他の子供たちと一緒に、開いたドアを囲む。
「ここから、歩けます」
「大丈夫かい」
「はい」
 車の中の会話が、外に漏れ聞こえる。ミナセが降りると、車は発進した。
 遠く、別の花火の音がしていた。飛び去った妖魔(ヴァン)か、別の妖魔(ヴァン)か。また別の人が狙われている。魔狩(ヴァン=ハンテ)も、救護の自動車も、そちらに向かうのだ。
 ミナセは、防水布でくるんだ、血まみれのチトを抱いている。妖魔(ヴァン)が齧りとった人の腕や足を収容するために、救護車に用意されていた布。
「見せて、くれる?」
 ナズナは、飼い主を救けようと戦った勇敢な犬を、ミナセの腕から抱き取った。ミナセは、抗わない。ナズナは、チトを、地面にそっと横たえた。チトは目を閉じ、ぐったりとしている。赤茶の毛皮は血で汚れ、ひゅー、ひゅーと、苦しげな息が、一呼吸ごとに弱っていくようだ。
「いいかな?」という問いをこめて、ナズナはイズナを振り返る。「うん」イズナが頷いた。
 ナズナは、首にかけた鎖をたどり、先の宝珠を両の掌で押し包む。ふわり、という温かな感触があって、掌に何かが移ってくるようだ。
 ナズナが今よりずっと幼かったあの日。両親がまだ生きていた頃。イズナがなにか危ないものを悪戯して。それがなんだったか、ナズナは覚えていない。ただ、普段優しい父がひどく厳しくイズナを叱ったこと、それでいて奇妙に嬉しそうだったことが、かすかに記憶にある。はっきりと覚えているのは、母がナズナに言ったことだ。
「お前には、母さんの力を、分けてあげる。イズナがナズナを守って戦うなら、ナズナはイズナを癒せるように」
 そのときに渡されたのが、この宝珠だった。その後、何度か、宝珠がくれた力を、試してはいた。巣から落ちた雛や、親とはぐれて飢えた子猫で。イズナにも、そのことは話した。
 この力は、内緒にしなければいけない。それは、知っていたけれど。
 ナズナは、チトの血まみれの体を両の掌で、軽く支えた。目で見えるわけもないのに、体の中で折れた骨が知覚できる。体の外から、肺に刺さった骨を、微妙に動かす。即座に骨と内臓の傷を全快させることはできない。そこまでの力はナズナにはない。ただ、掌から力を送って、折れ離れた骨を正しい位置に戻し、内臓の出血を止めることができるだけだ。けれど、これで安静にして日数が立てば、傷は癒えるだろう。
 チトの息が、目に見えて安らかになったのを見て。
「異能だ」
 子供たちの誰かが、呟く。
「異能……」
「ナズナって……」
「異能」
 一人、また一人と、子供たちは後ずさり、走り去る。自分の家に駆け戻るのか。恐ろしいものを見た、と、親兄弟に訴えるのか。異能や、その家族・友人は、妖魔(ヴァン)に狙われやすくなる、と言い伝えられているのだ。
 残ったのは、ナズナとイズナ、そして、ミナセ。
 ミナセは、呆然とナズナの顔を見つめている。
「この子、このまま抱いて帰れる?」
 体のなかの折れた骨が再度ずれないよう、チトの姿勢が変わらないよう、気をつけてそっと手渡す。
 ミナセは無言で頷いた。愛犬を大切に捧げもって、歩き出す。
「送ろうか?」
 ナズナがかけた声に、ミナセの後ろ姿は、首を横に振った。

 ナズナが小学校に上がった頃から、夕食の支度は、ナズナがするようになっていた。体の弱い祖母・ユキヌは、食事の支度、とくに火を使った煮炊きが苦手らしい。そして、祖父母はとても小食で、
「これもお食べ」
「こっちもお食べ」
 と、ナズナとイズナに食べさせてしまう。
 食事が終わると。祖父・ナホトカは、ナズナとイズナの成長を祈って、按手をしてくれる。今夕も、ナホトカの組んだ両手が、ナズナの首筋の後ろに置かれる。ふわり、と熱が伝わる。ちょうど、母の宝珠に触れたときのように。
「ナズナ。力を、使ったか」
 ナズナに問う、ナホトカの声が厳しい。
「はい」
 ナズナは、素直に頷いた。わかるのだ、祖父も異能なのだ、と、今更ながらナズナは思う。
 母親に貰った力のことを、ナホトカが知っているのも、異能ゆえなのだろうか、と、ナズナは思う。両親が存命の間は、祖父母の顔を見た覚えがない。ナズナが赤ん坊のころに会っていると聞かされたが、記憶にはない。
 あの日まで、ナズナの首飾りに入れた宝珠は、三つ、イズナの首飾りは二つだった。父と母が帰宅しなかったあの夕、二人の宝珠が一つずつ消えて、母の死を告げた。翌日、祖父母がやってきて、両親が妖魔(ヴァン)に殺されたことを教え、慰め、この家で一緒に住みはじめた。ナズナが今持つ宝珠は二つ。一つは、癒しの術を篭めたもの。もう一つが消えるときは、イズナの死を意味するという。イズナがもつ宝珠は一つ。消えるときは、ナズナの死を告げるのだという。
「祭に行ったのではなかったのか」
 ナホトカが、問うた。
「お祭の後です。イズナの友達を助けた犬が、大怪我をしたんです」
「……人前で、力を使ったか」
「あのまま何もしなかったら、きっとあの子は死んでたし。そしたら、自分が、……嫌いになると思ったから」
「わかった。ナズナがそこまで考えて判断したなら、何も言わぬ」
 ナホトカの声は、静かだった。
「私!、私ね、お姉ちゃんがチトを助けてくれて、ほんとに嬉しかった!」
 イズナが気色ばむ。
「イズナも、みんなに仲間はずれにされちゃうのかもしれないんだよ?」
 ナズナは、懸念を口に出したが、イズナはつんと唇を尖らせた。
「いいよ。チトが助かったんだもん。そんなの、平気」
 ナホトカが、両の手を伸ばして、イズナとナズナの頭を撫ぜた。

 翌日、ナズナは、いつもの通りのブラウスとスカートに戻り、いつもの通りイズナと二人で家を出る。
 昨夜の祭で一緒だった仲良し組は、家も近かったから。通学路で、一緒になった。
「おはよう」
 ナズナは、いつも通り、声をかける。相手は、硬い表情で目をそらし、駆け出した。
 思わず、イズナの顔を見る。イズナも、ナズナを見て。目が合う。「私なら、平気」 目をきらきらさせたまま、イズナの唇が動いた。ナズナはなんとか唇の端を上げ、笑みを返すことに成功する。
 学校につくと。先に学校に駆け込んだ子や、昨夜現場にいた他の子から、すでに事情を聞いたのだろう、何人もの子がナズナとイズナから明らかに顔をそらした。そのなかには、泣きそうな顔もある。「ごめん、でも、もう私には関わらないで」そんな表情に見えた。
 人口一万の街で、妖魔(ヴァン)の犠牲は、年におよそ三百人。十年生きた子供であれば、自分が生まれてから、三千人の死、一万分の三千。直接覚えていないほど幼かったとしても、「お前が生まれたころにね」と家族などから聞いた死は、心に近い。異能の友を持つと妖魔(ヴァン)に食われる確率が上がると聞けば、怯える子供はあまりに多い。
 ナズナたち二人を避ける子供たちの動線に逆らうように、二人に向かってくる女の子が、一人。ミナセだった。唇をかみしめ、二人の前に止まる。
「ごめん……」
 ナズナは、そっとイズナの手を握る。イズナの手指も、緊張をはらんで少し、硬い。
 続く言葉は、イズナ、お友達を止めたいの、か、それとも。
「ごめん……。昨日、ちゃんとお礼を言わなくて、ごめん、なさい。チトを救けてくれて、ありがとう」
 ミナセは最後、涙声になった。
「いいよねっ、そんなの!」
 イズナが勢いよくナズナに言った。ナズナが頷くと、イズナは、ミナセに飛びつくようにして、強く抱きしめた。

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