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「アヤカシ子」 3


「ミユ!、いくぞ!」
 ヒワダがミユだけを引き起こさずに、大きな声をかけてきたのは、イズナたちを起こす意もあったのだろうか。
 雨は、ほとんど止んだと言ってもいいほど小ぶりになっていたが、日は大きく傾いて、夜が近い。……アヤカシたちの跳梁する夜が。
「山越えてる時間、ないから。俺たちは近道を帰る」
 ついてきたければ、ついてこい、という様子で、ヒワダは大またに歩き出した。
 イズナは、ナズナと顔を見合わせる。たしかに、山を越えるのは時間がかかる。近道というのに好奇心もあった。
 ヒワダが向かったのは、悪ガキでないと知らないだろう、細い道だった。山を越えるのではなく、海沿いの道ともいえないような岩の上を行くのだ。たしかにこれなら、距離的には近い。しかし、岩は踏むとぐらつくものも多く、濡れて滑る。下手をしたらすぐ下の海へ落ちてしまうだろう。
 ヒワダは、ミユをしっかりと背中にしがみつかせ、足先で一つ一つ岩の安定を確かめながら進んでいく。ナズナとイズナは、ヒワダが進んだ後をなるべくなぞりながら、後に従った。
 もう町が近いころ。日はかなり落ちて、灯を燈した家もあるのが遠目に見えたところで。カラスだかコウモリだかが、海ぎわの藪から飛び出した。
「ぎゃっ」
 ヒワダの声に、水音が続く。あるはずのあたりに、ヒワダたちの姿がない。
「ヒワダ!」
 イズナは足を速めて、ヒワダの姿が消えたあたりに急ぐ。見下ろすとすぐ下あたり、ミユとヒワダがもがいている。
「これを!」
 イズナはとっさに木刀の、真剣なら刃にあたる部分を自分で握り、柄の側を差し出した。
「ミユ!」
 ヒワダは懸命にミユを支え、ミユは必死に手を伸ばしてくる。小さな手が柄にかかる。
「しっかり!」
持って、と、声をかけて。イズナは、痛いほどに強く、木刀の刃の側を握り、木刀を引き寄せる。片手で木刀を支え、もう片方の手でようやく、ミユの手首を掴んだ。けれど、力がうまく入らない。思わず、片手を岩についた、イズナが木刀を離したのと、ミユが木刀を離してイズナの手首を握ったのが同時だった。木刀が、海に落ちた。
 祖母に貰った大切なものだけれど、祖母ならたぶん許してくれる。問題は、ヒワダを引き上げる手がかりがなくなってしまったことだ。
 それでも、今はミユに意識を集中するしかない。片手だけ掴んで不安定にぶらさげた状態から、柔らかな肌を岩に擦らないよう気をつけて、引き上げる。
 ヒワダは、ミユを支えるのに苦しかっただけで、一人なら泳げるようだった。立ち泳ぎをしながら、町の方角に指をさして、
「泳いで帰る」
と合図した。悔しいけれど、イズナよりずっと上手い。
 イズナは荷物をナズナに預け、ミユを背負う。ヒワダがやっていたように、慎重に岩を探りながら、進み始めた。

 ようやく、町から見える磯の景色になってきて、イズナはヒワダを振り向いてぎょっとした。
 磯から少し離れると、海は幸い凪いでいて、イズナでも泳げそうなのだが。海から磯の岩へ上がるその数秒は、波が岩に激しく打ち付けていて、どう上がっていいものか、イズナには見当がつかない。
 ヒワダは波の間隔を見定めるように、何度も何度も振り返り、とうとう決意して泳ぎ寄って来たが、もうちょっとで岩に手がかかる、というところに、波が打ち寄せた。
 ダン、と、ヒワダの身体が岩に打ち付けられる。
「ヒワダ!」
 イズナは思わず叫び、岩から海へ滑り降りようとした。
 ヒワダは、どこか痛めたのか、水を飲んだのか、さっきまでの安定した泳ぎっぷりは見る影もなく、めちゃくちゃに手足をふりまわし、どうにか沈ますにいるばかりだ。
「イズナ! 無理よ!」
 ナズナが止めるのは、わかる。イズナはまだ泳げるようになったばかり。さっきの泳ぎを見ていたって、ヒワダのほうが上手かった。
「でも!」、このままじゃ。
 抗議しようと振り向いて。ナズナが何か手を動かしているのに気づく。
 次の瞬間。
 ナズナの手元から、火の色が発した。ひゅーんと軌跡を描いて飛び、パン!と空中で火花を爆ぜた。
「おねえちゃん!」
 それは、アヤカシに出会った時以外は、絶対に使ってはならないと、きつく言い渡された花火。アヤカシは黒い翼で飛ぶという。日が落ちた後に、町の結界の外にいるヒトを探しているという。アヤカシに襲われた時、霊武器を持つ狩人が呼べるよう、誰もが蝋引きの紙でしっかり包んで持ち歩いている、特別の花火。
「大人がくるから! もうちょっと頑張って!」
 ナズナが、海に叫ぶ。しかし、波の音のせいか、耳も水が入って聞こえないのか、ヒワダは、少しでも磯に近づこうともがいては、波に巻かれて沈みかける。
 町から近いだけあって、数分で、待ち人は来た。油で走る、バイクと呼ばれる鉄馬に乗れるのは、この町ではアヤカシを狩る者だけだ。
「どうした?」
「ごめんなさいっ。アヤカシではないんですっ、あの子を……」
 顔をしかめた狩人は、少女たちの指さす先に視線を転じて、表情をかえた。
 手早く上着を脱ぎ、鮮やかな姿勢で海へ飛び込む。泳ぎに巧みな大人の速度で、ヒワダに泳ぎよるその途中で。
 力尽きたように、ヒワダの姿が水面から消えた。
 狩人は、一瞬、海面から伸び上がるようにして深い息を吸うと、続いて水面から消えた。潜水したのだ。
 時間にして、おそらく数十秒。
 息を呑んでいる少女たちの視界、狩人がヒワダを脇にかかえて、水面に上がってきた。
 先ほどのヒワダの苦労がウソのように、あっけなく岩に泳ぎより、ヒワダを岩に押し上げる。続いて、自分が陸に登ると、ヒワダを抱き上げ、岩の間のわずかに砂が溜まった場所に横たえなおした。
 ヒワダは、意識がない。
 人工呼吸を試みようとする狩人を押しのけるようにして、ナズナがヒワダの肩に手を当てる。
「ヒワダくん!、ヒワダくん!!」
 外から見れば、何度か名を呼んだだけ。ヒワダが、ゆっくりと瞼を上げた。まるで交代のように、くたり、とナズナの体が崩れ落ち、イズナはあわててナズナを抱き支えて、ヒワダから引き離す。
 狩人に手を添えて貰って、ヒワダはゆるりと立ち上がった。
「怪我はなさそうだな、気分は悪くないか?」
「はい」
 ぼそ、と返す。
「大丈夫だな?」
 帰りの身支度を始めた狩人の傍ら、
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」
 イズナが小声で呼んでいるうちに、ナズナも意識を取り戻し、狩人に頭を下げた。
「花火、使ってすみませんでした」
「あれは、アヤカシを知らせるためのもんじゃない。アヤカシに人が殺されるのを防ぐためにある。……命がかかっていたら、使っていいんだ」
 狩人は、少年が意識を回復したらほっとして気を失った……ように見える少女に、柔らかな笑みをむけると、バイクで去った。
 声が聞こえないほどに狩人が離れたとき。
「オレに何をしたんだ!」
 ヒワダが叫んだ。声が震えている。
「おねえちゃんは、ヒワダを……」
 狩人には判らなくても、イズナには判った。ナズナは、子犬を助けるのと同じ力を、ヒワダに使ったのだ。小さな生き物を助けるのでも、その力を使うと、ナズナはいつも疲労困憊する。その度合いは、相手が大きいほど、そして死に近いほど、ひどくなる。
「何で助けたんだよっ!」
 ヒワダの勢いに気おされて、イズナは黙る。アヤシの力で救われるくらいなら、死ぬほうがマシなのだろうか。
 ヒワダの目がぎらぎらしている。今にも殴りかかりそうに、それとも、自分を自分で押さえるかのように、腰の脇で両の拳を硬く握る。
「オレ……、オレも……、なんか違うものになるのか?、あの力が入ったの、自分でわかった、あの力が入ったら、今までのオレと違うのか?」
 ああ。ヒワダはおびえているんだ、と、イズナは理解する。
 ナズナが、ヒワダに、かぶりをふった。
「今日、スイカ食べても、明日はお腹がすくでしょ? 今日、力をあげても、明日はもう消えてしまうよ」
 そのとき、つん、と、ナズナの衣服が引かれた。
「おねえちゃんが助けてくれたの?」
 振り向けば、ミユがナズナのブラウスの裾をにぎっている。
「……すこしね、力をあげただけ。スイカを分けてあげるのと同じくらいだよ」
 倒れるまで力を与えて、それはないだろう、と、イズナは思うが。ミユは、こくん、と頷いた。
「おにいちゃんに、分けてくれて、ありがとう」
 ナズナが微かに笑んで頷き返すと、ミユはめいっぱいの笑顔になった。くるり、と兄に向きなおり、首にしがみつく。
「おにいちゃん、おにいちゃん、おにいちゃん」
 途中から涙声になる。
 ヒワダの、拳が解ける。掌が、ミユの背に沿う。
「おにいちゃんー」
 ミユがわんわんと泣き出した声の隙間で、
「秋の学期からさ。転校すんだ」
 ぽつり、と、ヒワダが言った。
「遠くの親戚の家に……」
 言葉は曖昧に途切れて、本当は行きたくなかったのだろうと知れた。
「親父とお袋に連れてきてもらった浜だから。見て、おきたくて」
 途切れ途切れに継ぎ足される言葉。
「うん」
 ナズナが笑んだ。ありがとう、というように笑んだ。終業式の日に言えなかったこと、言わなかったことを、今、ナズナとイズナにだけ言ったことに。
 ヒワダの唇が震えた。ありがとう、とか、ごめん、とか、そんなことが言いたかったようにも見えたけれど。結局それ以上、何も言わず、ヒワダはミユの手を引いて、ナズナとイズナに背を向けて歩きだした。
「おねえちゃん?」
 何か言わなくていいのか、少し戸惑って、イズナはナズナの顔を見上げる。ナズナは、手をのばし、イズナの髪をくしゃくしゃと撫ぜた。撫ぜた、だけだった。

 家に帰った二人が、無断で遠出をしたことを、祖父母からきつく叱られたというのは、また別のお話。

「アヤカシ子」了

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